大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和53年(行ウ)129号 判決 1982年5月13日

原告 大橋和夫 ほか一名

被告 小石川税務署長

代理人 根本眞 佐藤恭一 ほか三名

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた判決

一  原告ら

1  被告が昭和五一年一二月二五日付けで大橋芳雄に対してした相続税の更正(ただし、異議決定による一部取消し後のもの。)のうち課税価格二九五七万七〇〇〇円及び納付税額〇円を超える部分を取り消す。

2  被告が昭和五一年一二月二五日付けで原告大橋和夫に対してした相続税の更正及び過少申告加算税賦課決定(ただし、異議決定による一部取消し後のもの。)を取り消す。

3  被告が昭和五一年一二月二五日付けで原告大橋幸夫に対してした相続税の更正及び過少申告加算税賦課決定(ただし、異議決定による一部取消し後のもの。)のうち課税価格六一八五万七〇〇〇円、納付税額一八二〇万四八〇〇円及び過少申告加算税〇円を超える部分を取り消す。

4  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  訴外大橋秀子(以下「秀子」という。)は昭和四八年七月二三日死亡し、秀子の夫である大橋芳雄(以下「芳雄」という。)並びに秀子の子である原告大橋和夫(以下「原告和夫」という。)及び原告大橋幸夫(以下「原告幸夫」という。)が秀子の財産を相続した(以下「本件相続」という。)。

2  本件相続に係る相続税の課税経緯は次の表(一)ないし(四)記載のとおりである(以下、昭和五一年一二月二五日付け更正欄記載の更正及び過少申告加算税賦課決定のうち異議決定による一部取り消し後のものを「本件更正」又は「本件賦課決定」といい、両者を併せて「本件処分」という。)。

表(一)ないし(四)<略>

3  しかしながら、本件処分には、課税価格の算出につき秀子の保証債務金七八五六万六〇〇〇円の債務控除を否認した違法があり、いずれも取り消されるべきである。

4  芳雄は、本訴提起後の昭和五五年七月八日に死亡し、原告らがその地位を承継した。

二  請求原因に対する被告の認否

1  請求原因1、2及び4の各事実は認める。

2  同3のうち、本件処分が秀子の保証債務金七八五六万六〇〇〇円の債務控除を否認したものであることは認めるが、主張は争う。

三  被告の主張

1  本件相続に係る芳雄及び原告らの課税価格は次の表(五)記載のとおりであり、その相続税額及び納付税額は別表記載のとおりである。本件更正の課税価格等は右の額と同額であるから、本件更正は適法である。

表(五)<略>

2  右のうち、争いのある保証債務否認の根拠は、次のとおりである。

(一) 原告和夫は、秀子所有の共同印刷株式会社(以下「共同印刷」という。)の株式四八万二〇〇〇株(以下「本件株式」という。)を本件相続により取得した。秀子は、次の表(六)記載のとおり、本件相続開始前に、原告和夫が代表取締役として経営する株式会社パテイネ商会(以下「パテイネ商会」という。)の富士銀行池袋西口支店ほか三行(以下「四銀行」という。)に対する債務の根担保として、本件株式を四銀行に差し入れていた。

表(六)

担保権者

担保権設定年月日

数量

担保権設定契約の終了期日及び事由

担保権実行の有無

備考

富士銀行池袋西口支店

四一・三・三一

二万株

四九・二・五

解約

三和銀行池袋支店

四六・三・一

二〇万株

四九・二・四

解約

八十二銀行池袋支店

四七・四・一一

一三万株

四九・二・四

解約

新宿支店との取引きは池袋支店の開設に伴い昭和四六年七月一五日付けで池袋支店に移管

同行新宿支店

四六・三・一

三万一、〇〇〇株

三菱銀行大塚支店

四八・一・一〇

五〇万株

四九・二・四

解約

四八万一、〇〇〇株

芳雄及び原告らは、本件株式の評価額を八三三八万六〇〇〇円(その後、評価誤りを理由に更正処分により七八五六万六〇〇〇円に減額。)として原告和夫の取得財産の価額に計上する一方、右評価額と同額の保証債務八三三八万六〇〇〇円を同原告の債務控除として申告した。

(二) ところで、相続税法一三条一項一号は、相続により財産を取得した者が、右取得財産に併せて債務を承継することとなる場合について、「被相続人の債務で相続開始の際現に存するもの」の金額のうちその者の負担に属する部分の金額を取得財産の価額から控除して、その者の課税価格を計算する旨規定しており、同法一四条一項は、右規定により控除すべき債務は「確実と認められるものに限る」と規定している。また、同法二二条は、控除すべき債務の金額は相続時の現況による旨規定している。

しかるところ、秀子は、本件相続開始の時点において、パテイネ商会の四銀行に対する債務につき本件株式を担保として差し入れていただけであり、右債務の保証人となつていたわけではない。物上保証人は、担保物件に限定された物的有限責任を負担するのみであつて、保証人のごとく債権者に対して債務を負担するものではない。したがつて、秀子は、四銀行に対し何の債務も負担していなかつたものである。そうすると、被相続人秀子が本件株式の価額相当額の保証債務を負担していたということはできないので、相続税法一三条一項一号の適用の余地がなく、債務控除は許されない。

3  本件賦課決定は、国税通則法六五条一項の規定に基づき、本件更正により新たに納付すべき税額(同法一一八条三項の規定により一〇〇〇円未満の端数切捨て)、すなわち、原告和夫三〇七七万九〇〇〇円及び原告幸夫四五九万六〇〇〇円に各一〇〇分の五の割合を乗じて得た金額(同法一一九条四項の規定により一〇〇円未満の端数切捨て)に相当する過少申告加算税を各賦課決定したもので、適法である。

四  被告の主張に対する原告らの認否

1  被告の主張1のうち、保証債務八八三八万六〇〇〇円が否認されるべきであつて、右金額を申告に係る純資産価額に加算すべきであるという主張は争い、その余の事実及び主張はすべて認める。

2  同2のうち、(一)の事実は認め、同(二)の事実は否認し、主張は争う。

3  同3は争う。

五  原告の反論

本件更正における保証債務否認のうち金七八五六万六〇〇〇円の否認は、以下の理由により違法である。なお、申告においては右保証債務の金額を八三三八万六〇〇〇円としていたが、これは本件株式の評価額を誤算したためであり、右保証債務の正しい金額は、本件株式の価額と同額の七八五六万六〇〇〇円である。

1  本件株式に係る根担保権設定契約は、形式的には物上保証契約であるが、実質的には、パテイネ商会が弁済困難なときは、秀子が同商会のため本件株式の売却代金に相当する金額の債務を弁済するという趣旨のものであつた。すなわち、秀子は、四銀行に対し、本件株式の価額に見合う額の債務の保証をしたわけである。

そして、パテイネ商会(資本金四八〇〇万円)は、昭和四八年三月期には欠損金四四四万一〇〇〇円を計上し、昭和四九年三月期には欠損金八七〇六万二〇〇〇円、繰越欠損金一億六七四九万九〇〇〇円を計上し、昭和四九年三月三一日時点で長期借入金約四億五〇〇〇万円、流動負債約九億四〇〇〇万円を負つており、本件相続開始当時には、実質的に破産の状態であつた。そのため、右相続開始当時、秀子は前記の保証債務を履行せざるを得ない状態であり、かつ、同商会に対する求償権はあらかじめ放棄してあつたし、仮に求債をしたとしても、同商会から弁済を受け得る可能性はなかつた。

してみれば、右保証債務は、本件相続開始の際現に存するものであつて、全額確実と認められるべきものであり、かつ、主たる債務者に求償して返還を受ける見込みのないものであるから、相続税法基本通達一〇一条の規定に照らしても当然に控除されるべき債務に当たる。

よつて、相続税法一三条一項一号の規定により、右債務の金額、すなわち本件株式の価額相当額を債務控除すべきである。

2  秀子は、昭和四八年六月ころ、当時経営の危機に直面中のバテイネ商会の救済策を協議した大橋家の家族会議において、同商会の代表取締役である原告和夫に対し、秀子が同商会の債務の根担保として四銀行に差し入れていた本件株式を売却してその売却代金で四銀行に対する債務を弁済すること、右債務弁済につき同商会に求償しないこと、右の方法で秀子が債務弁済することにつき四銀行の承諾を取り付ける事務を同原告に一任することを約した。原告和夫は、同商会代表取締役として右申出を受け、更に、同年六、七月ころ四銀行の代表たる富士銀行に対し秀子の申出を伝え、その承諾を得た。

これにより、秀子は、本件相続開始前に四銀行に対し、本件株式を売却してその売却代金でパテイネ商会の債務を弁済するという債務を直接負つた。少なくとも、秀子は、四銀行に対し、右売却代金分の同商会の債務弁済を保証するに至つた。

また、同時に、秀子は、パテイネ商会に対しても、本件株式を売却し、その売却代金を同商会の債務の弁済に当て、右債務弁済につき同商会に求償しないことを約したものであるから、同商会に対し右売却代金相当額を債務弁済資金として譲渡するという債務を負つたということができる。

そして、右の債務はいずれも直接かつ確実な債務であつて、相続税法一三条一項一号所定の債務に該当し、その金額は、本件株式の価額と同額であるから、右価額相当額の七八五六万六〇〇〇円を課税価格の計算上控除すべきである。

3  1及び2の主張が認められないとしても、本件株式は、相続開始当時、根担保として四銀行に差し入れられていたのであるから、原告和夫は、担保権の負担付きで本件株式を取得したものである。いわゆる物上保証は、積極的に債権者に対しその債務を履行すべき義務は負わないが、債権者の責任追求を受忍すべき義務は存するのであつて、責任の点では保証責務と同様の負担を負うのである。

ところで、相続税は財産の無償取得による経済的価値の増加に対して課される税であるから、相続により取得した財産がかかる負担付きである場合には、負担のない場合に比して、負担の内容及び具体性等の程度に応じ、その課税価格に算入すべき価額が減額されることは当然というべきである。このことは、相続税法一三条一項及び二項、一四条一項の規定の趣旨から十分に類推されるし、また、同法七条ないし九条の各規定及び負担付贈与又は遺贈に関する相続税法基本通達一四一条の規定の趣旨に照らしても首肯されるべきである。

しかるところ、本件株式は、2で述べたとおり、売却の上パテイネ商会の債務弁済に当てられることが既に確実となつており、現に本件相続開始後に売却され、その代金全額が同商会の四銀行に対する債務の弁済に当てられたものである。同商会は、その後も営業不振で、昭和五二年二月商法に基づく整理開始の申立てがなされ、そのころ財産保全命令も受けており、現在は債権者との協議で私的な整理を続行中である。そして、右整理案には、原告らの個人資産売却による債務弁済及び求償権の無条件放棄が含まれている。

してみれば、原告和夫にとつて、本件株式は、これを取得しないのと同一の結果になつたに過ぎず、取得したことにより何らの経済的価値の増加もないものであり、かつ、このことが本件相続開始当時に確実かつ明白であつた。

よつて、本件株式の価額を取得財産の価額に計上する以上、これと同額を相続税法一三条一項の類推適用により控除することが認められるべきである。

4  更に、以上の経緯によれば、本件株式は、従前から秀子の占有を離れ、四銀行が所持していて、その回復の可能性もなかつた上、昭和四八年六月の前記家族会議により、その売却代金でパテイネ商会の債務を弁済することとの条件で実質的に同社に譲渡されたもので、秀子は実質的管理処分権能を喪失し、実質的管理処分権能は四銀行又は同商会に移転していたものである。したがつて、本件株式は、本件相続開始当時、名目上秀子の所有名義になつていただけであり、実質的には秀子に帰属していなかつたのであり、課税財産とはいえないものである。

原告らは、本件株式が本件相続開始当時形式上秀子名義になつていたため、一応取得財産として申告したが、本件株式の価額を取得財産の価額に計上する以上は、同額の債務控除を行うべきである。

六  原告らの反論に対する被告の認否及び再反論

1  原告らの反論1のうち、パテイネ商会の資本金、欠損金、長期借入及び流動負債の各金額は認めるが、その余の事実は否認し、主張は争う。

仮に、秀子が、本件株式の担保差入れにより、実質的に、パテイネ商会の債務につき四銀行に対し保証債務を負担したとしても、右保証債務は相続税法一四条一項にいう「確実と認められるもの」に当たらないから、債務控除は許されない。

すなわち、「確実と認められるもの」というためには、当該債務が相続開始の際に債務として終局的に確定しているか、少なくとも右の際に被相続人の債務として客観的に認識可能であることを要するものである。これを保証債務についてみるに、保証債務はいわゆる偶発的債務であつて、原則的には主たる債務者が債務弁済の責を負うものであり、仮に保証人が債務を弁済したときも主たる債務者に求償して返還を受けることができるものであるから、保証債務は原則として右の「確実と認められる」債務に当たらない。ただ、例外として、主たる債務者が弁済不能の状態にあるため保証債務者がその債務を履行しなければならない場合で、かつ主たる債務者に求償して返還を受ける見込みがない場合に限つては、主たる債務者が弁済不能の金額を前記の「確実と認められるもの」に当たるとして、保証債務者の債務として控除することができると解する余地がある(相続税法基本通達一〇一条)。ところが、本件では、相続開始の時点(昭和四八年七月二三日)において、<1>被担保債権の弁済期日はまだ到来しておらず、<2>主たる債務者であるパテイネ商会は通常の営業状態を継続していたのであるから、秀子は同商会の債務を弁済しなければならない状態にあつたとはいえず、<3>その後も同商会は営業を継続しているのであるから、仮に秀子が同商会の債務を弁済しなければならなくなつたとしても同商会に求償して返還を受ける見込みがないとはいえず、<4>結果的にも本件株式に係る担保権設定契約は表(六)のD、E欄記載のとおり本件相続開始後に解約され、物上保証人としての地位も何らの責任又は負担なしに消滅し、本件株式も原告和夫に反却されているものである。してみると、前記担保差入れによる保証債務は「確実と認められる」債務に該当しないことが明らかであり、したがつて、また、相続税法二二条に規定する相続開始時における現況による価額、すなわちそれが現に有する経済価値を客観的に評価することもできないから、債務控除は許されないものといわなければならない。

2  同2の事実は否認し、主張は争う。

本件株式は原告和夫が相続後売却し、その売却代金をパテイネ商会に貸し付けていたものであるから、秀子が四銀行及び同商会に対し直接の債務を負担した事実は全くない。仮に、秀子がその生前に本件株式の売却代金を同商会の債務の弁済に当てることを承諾していたとしても、その履行が何ら具体的な方策をもつてなされていない以上、それは相続税法一四条に規定する確実な債務とは到底いい得ないものである。

3  同3のうち、本件相続開始後に本件株式がすべて売却されたこと、及び整理開始申立てと財産保全命令が出されたことは認め、私的整理の事実は不知、その余の事実は否認し、主張は争う。

相続人が物上保証に入つている財産を取得した場合は、負担付贈与又は負担付遺贈を受けた場合とは異なり、相続人はその財産を取得することによつて、何ら反対給付の債務を負わないから、これを負担付贈与等と同一に取り扱うことはできない。しかも、右負担付贈与や、あるいは一般の債務控除の場合も、控除されるのは当該贈与又は相続のあつた時において確実と認められる金額に限られるものである。ところが、本件においては、右担保差入れに係る責任ないし負担の本体は、結局、将来本件株式につき担保権を実行されることがあり得るかもしれないという程度のものである。まして、前記1で述べたとおり、本件相続開始当時において被担保債権の弁済期が未到来で本件株式について担保権が実行された事実も、またそのおそれも全くなかつたばかりでなく、結果的にも本件株式に係る担保権は実行されないまま消滅しているのである。してみれば、前記担保差入れに係る責任ないし負担は、本件相続開始当時には「現に存するもの」でも「確実と認められるもの」でもない。また、以上の事情の下では、相続税法二二条の規定に基づき、相続財産たる本件株式の価額から控除すべき金額をその現況によつて客観的に評価することもできない。したがつて、本件相続開始時の現況によつて控除対象の債務と認めることのできる責任ないし負担は存しないわけであり、いずれにしても、本件株式の価額相当額を課税価格の計算上控除することは許されない。

そもそも、相続税は、所得税、法人税のように一定の期間の損益に基づく所得に対して課される租税とは異なり、相続又は遺贈によつて取得した「財産」に対して課税されるものであり(相続税法一条)、相続税の課税価格は、相続税法二二条の規定により、当該財産の取得時の時価及びその時の現況による債務の金額によつて評価されるのであつて、財産取得後にその財産の価値に増減が生じたとしても、それは考慮されないのである。したがつて、仮に本件相続開始後に本件株式に係る担保権が実行されたとしても、課税価格の計算には何ら影響するところがないのである。その上、原告和夫は、同族会社であるパテイネ商会の同族株主兼代表取締役であると同時に、同商会の四銀行に対する債務につき連帯保証人の地位にあり、自ら右債務を弁済しなければならない立場にあつたものである。したがつて、本件株式に対する担保権の実行が必至の事情にあり、かつ、主たる債務者たる同商会に求償しても返還を受ける見込みがないという場合であつたとしても、同原告は、少なくとも本件株式の価額に相当する債務を自己の財産をもつて弁済せずにすむことになるのであつて、現実に利益を受ける結果となるのである。そうすると、同原告について、取得財産の価額に算入した本件株式の価額に相当する金額につき、これを債務控除すべき相当の理由はないというべきである。

4  同4の事実は否認し、主張は争う。

第三証拠<略>

理由

一  請求原因1、2及び4の各事実は当事者に争いがない。そして、被告主張の課税根拠のうち、原告らの争う部分は、保証債務否認の点のみである。

したがつて、原告らが保証債務として債務控除の申告をした本件株式の価額相当額につき、これを課税価格の計算上控除すべきか否かが、本訴における唯一の争点である。

二  相続税法によれば、相続により財産を取得した者が取得財産に併せて債務を承継することとなる場合の相続税の課税価格は、取得財産の価額の合計額から、被相続人の債務で相続開始の際現に存するものの金額のうちその者の負担に属する部分の金額を控除して算出するものとされている(一一条の二、一三条一項一号)。そして、右の控除をなすべき債務は、確実と認められるものに限られる(一四条一項)。また、右の財産及び債務の評価については、取得した財産の価額は相続開始時の時価によるとし、他方、控除すべき債務の金額は相続開始時の現況によるとされている(二二条)。

ところで、秀子が表(六)記載のとおり、本件相続開始前に、原告和夫が代表取締役として経営するパテイネ商会の四銀行に対する債務の根担保として、本件株式を四銀行に差し入れていたことは、当事者間に争いがない。

したがつて、秀子は、物上保証人の地位にあつたものであり、保証債務を負担していたわけではないから、本件株式の価額相当額の保証債務を控除すべきであるとの原告らの主張は、前提を欠き、失当である。

原告らは、本件株式の担保差入れは保証債務の実質を有すると主張するが、<証拠略>に照らしても、右担保差入れはあくまでも物上保証にすぎず、秀子が右担保差入れにより相続税法一三条一項一号の控除の対象となる保証債務を負担したと解する余地はないから、原告らの主張は採用できない。

三  次に、原告らは、秀子は昭和四八年六月ころの大橋家の家族会議の結果により四銀行及びパテイネ商会に対し直接の債務を負担することになつたと主張するので、この点につき検討する。

1  <証拠略>を総合すると、次の事実を認めることができる。

(一)  パテイネ商会は、昭和三四年に設立され、芳雄及び秀子夫婦の長男である原告和夫が過半数の株式を所有するとともに自ら代表取締役として主宰する同族会社であり、昭和四八年当時、資本金四八〇〇万円で、主にアイススケートリンクの設営、管理、運営の請負等アイススケート関連の事業を営み、富士銀行池袋西口支店をメイン・バンクとしていた。

(二)  芳雄、秀子、同夫婦の次男である原告幸夫及び原告和夫は、本件相続開始の相当以前から、パテイネ商会を支援するため、共同印刷及び東京インキ株式会社の株式や個人所有の不動産を同商会の債務の担保として四銀行等の金融機関に提供し、また、原告和夫は、同商会の金融機関に対する債務につき連帯保証をなし、芳雄も富士銀行池袋西口支店など一部の金融機関に対する同商会の債務につき連帯保証をしていた。このうち、本件株式を含む共同印刷の株式に関する右大橋家四名の所有状況及び金融機関への担保差入状況は次の表(七)のとおりである。

表(七)<略>

(三)  パテイネ商会は、事業拡大を企図して行なつた資金投下が投融資先の営業不振等により資金の固定化、借入金及び金利負担の増大を招き、昭和四八年三月期決算において、固定負債約一億九四六九万円、流動負債約一〇億六一〇一万円を負い、当期欠損金約四四四万円、翌期繰越欠損金約八〇四三万円を計上した。

(四)  富士銀行池袋西口支店は、パテイネ商会の窮状を正確には察知していなかつたものの、昭和四八年三月ころ同商会から外貨建て貸付の申込みを受け、同商会の資産状態を調査する過程で、同商会の借入金が売上高に比し若干過剰であると考え、原告和夫に対し、財務体質改善のため個人所有資産を処分して自己資本の充実と借入金の返済に回した方が良い旨助言したが、同原告は、その当時、特段の対応をとらなかつた。

(五)  しかし、パテイネ商会は、その後も過大な金利負担と資金繰りのひつ迫が続いた。そのため、昭和四八年五、六月ころ、大橋家で家族会議が開かれ、原告和夫は、芳雄、秀子及び原告幸夫に対し、同商会の資金繰りの都合に応じ、金融機関に対する借入金弁済のため、右三名及び原告和夫から金融機関に担保として差し入れられていた本件株式を含む前記共同印刷株式合計二一四万三九〇〇株を売却することの許しを求めた。芳雄、秀子及び原告幸夫は、右株式の売却はやむを得ないが、これ以上同人らの個人資産をもつて同商会の支援をすることはやめにしたいとの意向を示した。

(六)  原告和夫は、そのころ富士銀行池袋西口支店に対し、担保として差し入れられている株式を売つてもよいという意向を一応伝えたが、それ以上特に具体的な申し入れはせず、同支店の方も、右株式売却について緊急事項とは考えず、積極的な要求をしないまま、昭和四八年七月六日にはパテイネ商会に対し外貨建てによる二〇万ドル(六一六〇万円)の貸付を行つた。また、同原告は、富士銀行以外の金融機関に対しては、担保株式の売却につき何らの話もしなかつた。

(七)  昭和四八年七月二三日秀子の死亡により本件相続が開始し、原告和夫が本件株式を相続し、芳雄は秀子のパテイネ商会に対する借入金返済債務六五一万一五九〇円を承継した。本件相続開始当時、同商会は、四銀行等の金融機関に対し、債務不履行の状態には陥つておらず、銀行取引約定に基づく期限の利益の喪失事由(仮差押、差押又は競売の申請、破産、和議開始、会社整理開始又は会社更生手続開始の申立て、支払停止、取引停止処分等)も発生しておらず、債権者集会の協議等による資産整理にも入つていなかつた。また、四銀行に差し入れられていた担保物件の時価は、同商会の借入金の額を上回つていた。

(八)  富士銀行池袋西口支店は、昭和四八年一一月ころパテイネ商会の経営状態の悪化に気づいたが、担保株式の売却により立て直しは十分可能と判断し、同年一二月末ころ原告和夫に対し、金融機関に差し入れられていた株式を同支店の立てる計画に従つて売却し、その売却代金で金融機関に対する借入金の弁済をなし、財務の立て直しを行うよう指導した。そこで、同原告は、同支店の売却計画に従い、同支店以外の金融機関には内密のまま昭和四九年一月ころから同年五月ころまでかかつて、同支店から預金担保で借りた資金を基に、他の金融機関に対する借入金の弁済をなし、担保株式の返還を受けてこれを売却し、その代金でまた別の借入金を弁済し、担保株式の返還を受け、更にこれを売却するという一連の作業を繰り返し、借入金の弁済を行つた。右一連の手続の中で借入金弁済のため売却された共同印刷の株式は表(七)<4>欄記載のとおりであり、本件株式もその中に含まれ、表(六)記載のとおり担保権解除の上すべて売却され、その売却代金は同商会の借入金弁済に使用された。なお、同商会では、同原告から同商会に対する右売却代金分の貸付金を計上した上、昭和四九年六月三〇日同貸付金につき同原告から債権放棄がなされたとの会計処理をした。

(九)  パテイネ商会は、右株式売却以後も、富士銀行等からの融資や、いわゆる商社金融を受けながら幾つもの新規事業に資本を投下したりして、スケートリンクの管理、運営等の事業を継続し、昭和五〇年三月期には経常利益約八九八九万円を計上した。しかし、借入金過剰による経営の悪化が続いたため、原告和夫は、昭和五二年二月同商会の商法上の整理開始の申立てをし、そのころ財産保全命令も得た。しかし、債権者との協議により私的整理を行うこととなり、同年六月右申立ては取り下げられ、同商会は借入金を計画返済しながら営業を継続している。現在、同商会の経営は、一応立ち直り、昭和五四年三月期には経常利益約六〇〇〇万円を計上している。

以上の事実が認められ、<証拠略>は採用せず、その他右認定を左右するに足りる証拠はない。

2  1記載の認定事実を総合すれば、秀子は、昭和四八年五、六月ころの大橋家の家族会議において、原告和夫の懇請を受け、金融機関からの借入金弁済のため、四銀行に担保として差し入れていた本件株式を売却することを不本意ながら承認したにすぎないことが明らかであり、秀子があらかじめ四銀行との間で重畳的債務引受契約や債務保証契約を締結することを決意して、その代理権限を同原告に付与した事実も、また、同原告が秀子の代理人として四銀行との間で右契約を締結した事実もないことが明らかである。

したがつて、秀子が右家族会議の結果四銀行に対し直接債務を負担することになつたとの原告らの主張は、失当というほかない。

3  また、秀子は、大橋家の家族会議において、金融機関からの借入金弁済のため、本件株式を売却することを不本意ながら承認しているが、本件株式は四銀行に担保として差し入れられていたもので、任意売却には担保権の解除が前提条件であるところ、家族会議の時点では、四銀行との担保権解除に関する協議はなされておらず、本件株式の売却に関する委任状等の書類も作成されていない。その上、家族会議の時点では、パテイネ商会において富士銀行池袋西口支店に対し外貨建て貸付を申込み中であつた。そして、本件株式を含む共同印刷株式の売却は、実際には、家族会議の時点から相当後に同支店の要請で開始されており、それまで原告和夫が同支店に右売却のための担保権解除等を積極的に申し入れてはいないことに照らすと、右家族会議はあくまで下相談にすぎず、秀子の承認は、大橋家の個人資産の中で担保差入中の株式の処分は最小限避けられない事態に至ることを予想し、同商会の資金繰りの都合及び金融機関との協議により、本件株式の任意売却が必要となり、かつ売却方法が具体化すれば、秀子としてこれに応ずる覚悟であることを表明したものと認められ、同商会に対する履行引受等の債務負担の確定的意思表示とは認めることができない。仮に、秀子の承認が、同商会に対する何らかの債務負担の意思表示であるとしても、本件相続開始の時点においては、本件株式の売却処分が避けられないか否か、あるいは四銀行の協力が得られるか否かが未確定で、売却方法も具体化していなかつた上、右意思表示も書面化されておらず、取消可能なものであるから、右債務をもつて相続税法一四条一項の確実と認められるものと称することは到底できない。

原告らは、秀子はパテイネ商会に対し、本件株式を売却して売却代金を同商会の債務の弁済に当て、同商会に求償しないことを約したものであるから、同商会に対し右売却代金相当額を債務弁済資金として譲渡するという債務を負つたものであると主張する。しかし、秀子が右のような履行引受をしたか否かはともかくとして、秀子においてあらかじめ求償権を放棄する理由はなく、1記載のとおり、芳雄が本件相続により秀子の同商会に対する六五一万円余の借入金返済債務を承継し、同商会が原告和夫から同商会に対し本件株式の売却代金の貸付金分があつた旨の会計処理をしている事実に照らせば、秀子があらかじめ求償権を放棄した事実はないものと認むべく、原告らの右主張事実を認めることはできない。

したがつて、秀子が家族会議の結果によりパテイネ商会に対し債務控除の対象たるべき債務を直接負担することになつたとの原告らの主張も、失当というほかない。

四  また、原告らは、本件株式は担保に差し入れられていた上、売却されてパテイネ商会の債務弁済に当てられることが既に確実となつていたものであるから、これを相続しても経済的価値の増加がなかつた旨主張する。

1  一般に、相続財産の評価において、担保権の設定された財産の価額は、担保権が実行されるか否かが不確実であり、また、担保権を実行されても債務者に求償することが可能であるから、担保権を度外視した当該財産の時価により評価するのが相当である。しかし、相続の時点において、債務者が弁済不能の状態にあるため担保権を実行されることが確実であり、かつ、債務者に求償して弁済を受ける見込みがないという場合には、債務者が弁済不能の部分の金額を控除して当該財産の価額を評価するのが相当といえよう。したがつて、このような場合に、担保権を度外視した価額を取得財産の価額に計上したときは、債務者が弁済不能の部分の金額を控除して課税価格を算出するのが相当といえる。

2  これを本件についてみるに、本件相続開始当時、債務者たるパテイネ商会は、多額の負債を抱えていたことは事実であるが、担保権者たる四銀行に対し債務不履行の状態にあつたわけではなく、期限の利益の喪失事由(仮差押、差押又は競売の申請、破産、和議開始、会社整理開始又は会社更生手続開始の申立て、支払停止、取引停止処分等)も発生しておらず、債権者集会の協議等による資産整理に入つていたわけでもない。同商会は、本件相続開始の前後を通じて、営業を通常どおり続行し、富士銀行池袋西口支店等との銀行取引も継続しており、新規融資を受けたり、新規の資本投下等も行つているものである。同商会について会社整理の申立てがなされたのは、本件相続開始から約三年半後のことである。とすると、同商会は、本件相続開始当時弁済不能の状態にあつたとはいえず、担保権の実行が確実であつたとはいえない。のみならず、本件相続開始当時、四銀行に対する債務については、本件株式以外にも多数の株式や不動産が担保に供されており、芳雄及び原告和夫の個人保証も存し、右担保物件の時価は債務額を上回つていたのであるから、仮に、パテイネ商会が弁済困難となつても、本件株式につき担保権が実行されるかどうかは不明であつたといわざるを得ない。したがつて、本件相続開始当時、本件株式に対する担保権の実行が確実であつたとはいえない。また、仮に、担保権の実行がなされても、債務者である同商会、連帯保証人である原告和夫及び芳雄に対し求償することが可能であつたと認められる(本件株式はたまたま原告和夫が相続することになつたため、連帯保証人に対する求償権は発生しないが、その分同原告の債務が消滅するという意味で、同原告において求償権と同様の利益を享受することに変わりはない。)から、いずれにしても担保権を考慮することなく本件相続開始時における本件株式の客観的価値を評価して妨げはないものというべきである。

3  原告らは、本件株式は売却されてパテイネ商会の債務の弁済に当てられることが確実となつていたと主張するが、前叙のとおり、大橋家の家族会議において本件株式を売却して同商会の債務を整理する下相談がなされていたものの秀子が本件相続開始当時本件株式を売却処分すべき義務を四銀行又は同商会に対し確定的に負担していたわけではない。したがつて、本件株式を相続した原告和夫としては、本件株式を売却処分するか否かの選択権を有していたのである。また、本件相続開始当時、同商会の債務整理が必要な事態になつていたとしても、同原告は、本件株式以外の個人資産を処分することもできたのである(同原告は、表(七)記載のとおり、担保権の設定されていない共同印刷株式四七万一〇〇〇株を所有していた。)本件株式は、昭和四九年に入つて売却処分され、同商会の四銀行等に対する借入金の弁済に当てられているが、それは、同原告が自己の資産の一部として本件株式の経済的価値を活用したものにほかならない。その結果、同原告は、同商会の連帯保証人としての債務につき、売却代金相当額の債務の弁済を免れたのである。また、同商会は、右の債務整理によつて銀行取引及び営業の継続が可能になつたのであるから、同原告は、同族会社たる同商会の過半数以上の株式を所有する株主としても、本件株式の経済的価値を享受しているのである。すなわち、同原告は、本件株式の相続により、その時価相当額の経済的価値を取得しているものといえるから、原告らの右主張も採用することはできない。なお、同商会は、約三年半後の昭和五二年二月に会社整理開始の申立てを受ける事態に至つているが、そのことをもつて本件株式が本件相続開始当時有していた経済的価値を減殺することはできない。

4  したがつて、原告和夫が本件株式の価額をそのまま取得財産の価額に算入したからといつて、課税価格の計算上同額の控除を行うべき理由はない。

五  原告らは、本件株式は本件相続開始当時その管理処分権能が四銀行又はパテイネ商会に移転していて、実質的には秀子に帰属していなかつたから、課税財産とはいえない旨主張する。しかし、本件株式は、四銀行へ担保として差し入れられていただけで、四銀行へ譲渡されたわけではない。また、本件株式が同商会へ譲渡された事実もないことは、前叙の説明から明らかなところである(ちなみに、同商会への譲渡があつた場合には、相続税法九条の利益享受が問題となり得る。相続税法基本通達六〇条参照。)。そして、原告和夫が本件株式を相続することにより、その経済的価値を享受していることは、前記四で述べたとおりである。

よつて、原告らの右主張も失当である。

六  以上のとおり、本件株式の価額相当額を課税価格の計算上控除すべき理由はないので、被告が本件株式に係る保証債務八三三八万六〇〇〇円を全額否認した点に違法はなく、本件処分はいずれも適法というべきである。

七  よつて、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 泉徳治 岡光民雄 菅野博之)

別表<略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例